今日読んだ本の中で特別心に残った一冊がある。
『Fate/klaidliner プリズマ☆イリヤ』
漫画・ひろやまひろし/原作:Fate/stay night(TYPE MOON)
企画原案:TYPEMOON
である。
一読して言葉もなかった。
すばらしい!時代はここまで来たのかと嬉しくなる。
内容を一言で紹介するならFate/stay nightのスピンオフコミック、ということになるのだろうが、このブッ飛び様はどうだ?
カレイドステッキが紆余曲折を経て「アインツさん家のイリヤさん」の手に渡り、街の平和を脅かす謎の暴走黒化サーヴァントと戦う―同人誌かよ!と笑顔で突っ込むボク(笑)
まあ、あのイリヤが・・・イリヤが笑顔でシロウと一緒に暮らしている様を見れるだけでもボクは満足でちゅー・・・イリヤ、どうか、いつまでもいつまでも幸せに・・・あれ?戦ってる?! (笑)
冗談はさておき、スピンオフとしてはキャラクターの扱い、設定の遊びなど、程よい加減でよくまとまっていると思う。手堅い、と表現しても良いのではないだろうか。
さっき、「ブッ飛び・・・」などと評しておいて、何を・・・とも思うが。
さらに一冊の本として、だけでない価値がある。
アンソロジーやコミカライズではなく、スピンオフ作品が単体アイテムとして出版される、それも(こう言っては何だが)著名な作家によるものではなく、である。
例えば、手塚治虫作品の翻案を浦沢直樹が書いたものが出版されるのは必然であろう。
教養とは一面で原典を引く能力である。
それはとりもなおさず、(少なくともある階層において)原典が共有されている事の現れであり、一つの成熟した文化が存在することの証でもある。
オタクというものが時代の生み出した酔狂ではなく、時を経て、文化として共有されていく。
幾星霜か後、未来の志士達は月旦にFate/stay nightを使うのかもしれない。
「かの男は、シロウの誠実さと、ランサーの洒脱を二つながら持っているような人物だ」などと。
無論、これは妄想にすぎず、他の良識あるFate/stay nightファンにとっては迷惑な仮定でしかないかもしれない。しかし、少なくとも、「Fate/stay nightが終わっても、誰かがそれを繋いでいく。」この事実は、全てのFate/stay nightファンにとって喜ばしいことではないだろうか?
もちろん、Fate/stay nightが終わったかどうかは僕ごときが判断するようなことではない。
あるいは、正当続編があるのかもしれない。
それを期待する感情とは別の話として理解されたい。
まあ、相変わらず偉そうな事を綴っているが、僕にとってこの作品の価値の根源はイリヤが笑っていることにある。
時と場所が違えば、こんなにも楽しそうに笑えるのだ。
その事を思い、Unlimited Blade Worksのあの場面とか、Heaven's Feelのその場面を想うとき、涙すら零れてくるのである。
オタクとしての僕が、この評を締めくくる言葉は一つ
がんばれ!魔法少女プリズマ☆イリヤ!