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2020年5月24日日曜日

緊急事態宣言の解除(予定!)を勝手に寿いでみる

個人的(コスパ考えない)つまみを用意して緊急事態宣言の解除(予定!)を寿いでみる。

自分はこの事態で何ら直接的な打撃を受けたわけではない(失職中だし、自分と近しいものは幸いにして罹患しなかった)が、それなりに「人生の予定と目算」は狂った(笑)
行政の「宣言」が解除されたからといって「すべて元通り」になると思う程楽観的ではないが、これは素直に嬉しいし、祝っておいてよいと思う。

世界が、どうか人間に優しくありますように。


2020年2月1日土曜日

今さら所信表明(笑)

さあ!二月だ!

…やばい、ケツに火がついてる(笑)

そんなわけで、ようやく色々と動き出そうと思ってます。
…今までも何もやってなかったわけじゃないよ!(笑)

まあ、努力が報われるはずだ、報われなければならない、という幻想を捨てる事だな。

なんとなくFGO二章の行方くらいは見届けたいと思っているので、その間位は生きられるように、生きる以上は責任を果たせるように動きたいと思うのです。

2009年7月3日金曜日

(())

誰かと出会って…何かを育んで…再会を期した…
―という夢を見て、悲しかった。
―という夢を見た。

2009年6月25日木曜日

双緋ウリアッ上みて

何かを得るためには何かを支払わなければならない。
そして、失ったものは二度と戻ってこない。
(同じ貨幣に出会うことはない。)
何を支払って何を得たのかも忘れていく。

…とりもどせてよかったね。
ほんとうに、よかった。

2009年6月19日金曜日

現状

何もかも気に入らない/しかし、我慢できる。
これ以上何もいらない/だから、これ以上うばわないでくれ。

2009年6月11日木曜日

おにいさま、あなたは堕落しました。

―と、言う名台詞もあったが、

(野暮なので原典はひくまい…と一度は思ったが、そういう問題でもないか。もちろん究極超人あ~る (5) (小学館文庫)である。)

もし今そう言われたら三択の答えは、
「たしかに堕落したかもしれない…」
しかあるまい。
つか、堕落してるよ実際。
正確には堕落しつづけているがそれを止める気が起きない、だがな。
安吾を呼んで涙したのは学生の頃だと思うが…隔世の感があるよ、まったく。

―とは言え、昼酒をあおって飲む打つ買うというでもなし、テロに走るでなし…怠惰なのは確かだが、仕事も一応はしてるしなあ。
堕落したとしても、高みを目指したとしても、到達できる所は誤差圏内ということか。

まあ、おかげで今日も無事に酒が飲めるワケだし、そういう意味では自分の矮小さを寿ぐとしよう。

2009年5月29日金曜日

昼寝

何をする気もおきない時がある。
新しいことはもちろん、大好きな本すら開く気になれない。
外出なんてもってのほか。
パソコンの電源をつけることすら徒労に思える。
なにもかも、無駄に思える。

―無駄なことなど一つもないし、
 仮に無駄だったとしても僕らは行くしかないのだが―

そんな当たり前の事さえ信じられなくなる時。

これはもう、寝てしまうしかない。
物理的(肉体的?)に眠いかどうかなど瑣末な事だ。
何しろ、他に何をする気もない。
したいこと、しなければならないことがあったような気もするが、信じられない。
なんとかプレーヤーだけはセットしてベッドに落ちる。

電気もつけたまま、布団なんぞ何処にあるのかも知ったことじゃない。
なんとなく音楽がなっているが、音がバラバラに聞こえる。
なんの曲かもわからない。
わずらわしくもあるが、起き上がるのも億劫なので、ほっておく。
起きてるのか、眠っているのか。
どちらでもいいし、どのみち意味はない。
頭蓋の中につまった益体もない泥の塊。
皮袋の中は、濁った油。
暑さ寒さにだけ、緩慢に反応する。

…しばらくすると、歌詞の欠片が耳に入ってくる。
連続した歌には聞こえない。
あー、やっぱり半分寝てるんだなーとか、本当に無意味な思考。

…またしばらくすると、なんとか歌の半分くらいは認識できるようになる。
サビの部分とか。
なんとか歌を聴くかっこうになれる。

…さらにしばらくしてイントロで歌がわかるようになる。
まあ、自分のプレーヤーに入ってるお気に入りの曲だから当たり前なんだが。
歌詞に反応して起き上がり、一緒に歌ってみたりする。
よし、なんて呟いてみたりして。
何が好いのかはよく分からんが、とにかくも起き上がった。

プレーヤーの曲全部流しても起き上がれなくなる時があるのかもしれない。
ま、そん時はそん時だ。

2009年5月22日金曜日

当然の事ながら…

何かを得たいのなら生きていくしかないし、
何も失いたくないなら死ぬしかない。

2009年5月15日金曜日

貪欲さ

利が目的なのはよい。
しかし、目的が別にあってなお利を求めるのは貪欲と言える。おぞましい。

2009年5月8日金曜日

”自分というもの”について

ポーズはいかんよ、ポーズは(笑)
ま、言葉の持ってる勢いに文章が影響されちゃったりはするがな。

2009年5月1日金曜日

散歩

外を歩くのは良いものかもしれない。
旅に出てみれば、ワクワクするのかもしれない。
いや、きっと。
…出る気が全くないのが問題なんだよ。

2009年4月24日金曜日

川辺の石

何のために置かれたのか。
様々に予想は出来るが、美しいとも思えない。
さりとて、何をおいても同じようにうらぶれた印象になるかもしれない。
高速道路の真下、薄暗いこの場所では。

2009年4月17日金曜日

故郷めいたもの

見知った街を歩く快感。
変わっているが、変わっていないものもある。―だからどうだってんでもないんだがな。

2009年4月10日金曜日

たわごと

僕は、つまるところ自分の事にしか興味がないのだろう。
しかし、自分を説き明かすという痛みをともなった快感は捨てられない。全ては、自分を解明するためにある。

2009年4月3日金曜日

たわごと

人は自分だけの謎を持ち、その解明に生涯をかけるべきだ。
その覚悟と意思を持ったもののみを人と呼ぶべきで、その他の”もの”と人とは、狼と犬ほどの違いがある。(どちらが良いのかは別問題だが)

2008年4月26日土曜日

自分というもの一

自分という、この度し難いものについて考えることがよくある。
若い頃は―と言う表現は忸怩たるものがあるがな(笑)―哲学や思想の本を読み散らかしたこともあり、それなりに刺激的な体験ではあったが、自分に適用する事はできなかったように思う。
ましてや、自分を陶冶したり、改善(?)したりするために役に立った事は少ない。(ゼロではない。)

ちなみに、問題があるのは無論のこと読み手側であって、哲学を愛する方々はこのような駄文に惑わされる必要はない。
また、興味のある若い方には触れてみることをおすすめする。
ただし、”図解”や”二時間でわかる”といった品のないタイトルの本は避けること。
素晴らしい読書とは、とかく時間と労力のかかる体験なのである。

自分とはなんだろうか?
―と、書き出すのは大げさであり、傲慢でもあるかもしれない。
僕が知りたいのは、自分の中に満ちている日々の生活に干渉する粘ついた情感の正体であり、できうるなら、それを克服することによって、現状よりましな人間になりたいということなのである。
もちろん、この粘ついた情感とそれを克服しようとする理性―そんな素晴らしいものが自分にあるとは到底思えないが、他に適当な語彙がないため、やむなくそう呼称する―のどちらが自分の本体かは不分明である。しかし、そのことは僕の興味からははずれる。

粘ついた情感とはどんなものであろうか?
いや、この”?”は趣味が悪い(笑)
僕にとっては質問するまでもなく、皮膚のすぐ裏側に張り付いているものなのだから。
まあ、公開している以上、最低限の説明はなされるべきであろう。

最低限の文章力があるかは措く。おそらくは無いであろう。ここまで読み進んでいる方には同情と賞賛の念を禁じえないが―では、なぜ僕はそんなものを綴るだけでなく、公開しているのであろうか?

実例を挙げよう。
休日、眼が覚めたとき、今日の予定を考えたとする。
何か自分が変化する可能性があること、日々の生活を整頓、よりよく生きるためにの―つまりは面倒で気が進まない事を実行する必要があると仮定する。
(まあ、常に必要はあるのだがな。)
必要であるならば、実行すればよい。あとは、優先順位の問題である。
これが理性の回答であり、僕にとっての理想である。
しかし、粘ついた情感の出す回答は、変化したところでしかたない、整頓したところで再び乱れるのは必然、よりよく生きるなどというのは幻想であり、つまるところ生きるなどというのは生命の維持と快楽の追求に他ならないではないか―という優しい囁きなのである。
しかして、僕は今日も読みなれた本を愛撫しつつ、惰眠を貪るのだ。

―もっとも、この自嘲も自らを飾る綺羅でしかない。
可能な限り客観的に見て、僕の生活は残念ながら無頼を気取るほど怠惰ではない。もちろん、成功者と呼ばれるほど勤勉でもない。つまるところ、単なる市井の一市民にすぎない。
”惰眠”をはじめとする極端な用語は僕を語るに相応しくないのだが、用語の吟味を現状以上に厳密にすると、この文章を綴る愉悦が減衰されてしまう。
よって、こだわらず、自分に酔ったまま、綴らせていただくことにする。

せめても、新しい本を読むならば、救いもあるというものだが・・・。
さて、この粘ついた情感を、なぜ支配しえないのか、あるいは駆逐しえないのか?
理性に従って行動しえないのはなぜだろうか?